岩手パソコンジジ放談

アクセスカウンタ

zoom RSS 宮沢賢治の夢を実現するもの

<<   作成日時 : 2004/09/10 02:15   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 宮沢賢治は、理想郷を岩手の現実の中で創ろうとして、37歳でその夢を果たせずして、死んだ。
 花巻農学校、羅須地人協会、炭酸石灰(化学肥料)販売などの実践を行なった。
 その中で、宮沢賢治は情報を重視していた。新しい知識は、地主などの富裕層に独占されたいた。それを、農民にも開放しようとした。もっと、情報が農民に届けば、生活は改善されるはずだ。
 だからこそ、さまざまな文学作品、演劇、音楽劇などの芸術活動、そして、世界の農民との交流を夢見て、エスペラント語の習得も行なった。単なる道楽でやったのではない。情報科学の視点で賢治の活動を見直すべきではないであろうか。
 当時は、変わり者でも、今では当たり前のものになっている(残念ながら、エスペラント運動の力及ばず、エスペラント語ではなく英語での交流になっているが)。
 もし、賢治が生きていた時代に、パソコン(個人がコンピュータを持つ)があり、インターネットがあったら、どうであろう。今でも、岩手県ではパソコンの普及率はあまり高いとはいえないが、パソコンが誰の手にも安く、手に入るようになり、通信網が拡充していたら、賢治の理想は、早いうちに進んでいたのではないだろうか。
 もしかして、賢治の晩年は、炭酸石灰販売ではなく、パソコンのセールス・サポートをしていたかもしれない。
  私の前の職場では、長野県出身者が多かった。彼らに聞いてみると、各農村に有線放送が引かれ、それがケーブルテレビになり、農協が中心となって、各農家にパソコンを導入するようになってから、インターネットのサービス(ブロードバンド)をするようになった。
 インターネットで情報を集めて、消費者の動向や売るタイミングを見極めて、農作物を出荷すると聞いた。東京にいたとき、同じ農産物を岩手県と長野県が争って、出荷していたが、どういうわけか、長野県は、消費者に買いやすい値段でタイミングよく出荷していた。
 単に東京に近いからではなく、彼らは、賢治がいっていた「情報」を大切にしていたからではないだろうか。そういう彼らだから、情報の重要性を知っている作家を知事に選んだのではないだろうか。
 東京でも、作家の知事が2代続いたのも、酔狂ではなく、選んだ都民が情報の重要性を知っていて、情報を敏感につかむことができるのは作家であることをよく知っているからである。
 宮沢賢治も日本を代表する作家の一人である。
 賢治の理想が岩手県ではなく、他都道府県で実現している様子を賢治はどう思うのであろう。
 コンピュータやそれを使ったインターネットによって、さまざまな情報が入るようになる。それらにどう付き合うのか、学校の先生方に賢治のようにがんばって欲しいものである。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
宮沢賢治の夢を実現するもの 岩手パソコンジジ放談/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる